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2011年

新年の花火の白い輪が散った夜空を覗いてからもうすぐ1年が経つ。

1月にミラノで「最後の晩餐」とミケランジェロの最期の「ピエタ」を見た。小学生の頃、画集を見ながらよく模写をしていた作品たちと生の対面。「アート」だなんて叫んでる自分ひとりの地表がどれだけちっぽけなものか実感した。ドイツに帰ってから描きはじめた絵たちは1年前の絵から脱皮した気がする。

「血と土の絵」を描きつづけていたが、3月に日本での震災を知る。このとき、僕の向き合う風景はドイツの街並ではなく日本の村に帰って行った。「血と土の絵」は「紅い花の絵」に転生する。
4月、京都の小さな村で開催された展覧会に出品した絵に「村の春」という名を付けた。

夏、パリでモディリアーニの墓参りに行く。歴史に名を残した画家のものとは思えないほど小さな墓だった。

9月にデュッセルで展覧会を終えてから10月に奈良での展覧会のため約1年半ぶりに帰国。母校での講演会にアーティストトーク、久しぶりに森でスケッチをして久しぶりに村の床屋にも行った。床屋のおっちゃんもおばちゃんも元気そうだった。

ドイツに帰って来てからは、詩と短い物語を毎日書くようになった。文字を書くのに飽きたら小さなキャンバスに絵を描いている。

今年見つけた言葉「貧しい美しさ」ずっと信じて生きてみよう。



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by yasutakeiwana | 2011-12-28 19:54

マイナーな選択

1年間一緒に住んだクリスチャンが引っ越して、秋にドイツに来た松田くんが引っ越して来る。
僕がデュッセルドルフにやって来た年はアート系の日本人は2人しか来なかった。それに比べると今年はすごく多い。ベルリンは日本人アーティストがたくさんいるし、ロンドンにもいる。岡本太郎の時代とは違う。

中にはこのブログやツイッターを読んでデュッセルにやって来る人もいる。
僕が役に立てることはあまりないんだけど、遠くから誰かがアトリエを訪ねてくれるのは嬉しいことなのでいつも一緒に飲みに行く。
「日本人アーティストが増え過ぎると日本人だけのコミュニティーができて良くない」という人もいるけど、僕は他人のことにあまり興味がないのでどうでもいい。アートシーンの中の狭いコミュニティーやアカデミーに自分の居場所を求めたくない。自分の表現はもっとささやかな場所で生まれてほしい。ドイツだとアトリエでひとりぼんやりする1日が好きだし、言葉も通じないカフェで本を読んだり、落書きする時間が好きだ。日本だと地元の森でスケッチをしたり、わけもなく田んぼのあぜ道を歩いて顔の削れた古いお地蔵さんを拝むのが好きだ。

承知の通り「3.11」以降、日本人の価値観や生き方は大きく揺らいだ。
国家や社会としての「日本」は溶解しはじめている。
そんな時代に僕は僕の選択をしたし、僕は僕の選択をしたい。それがずっとマイナーな選択であってもかまわない。ずっと昔に約束した「村の魂」と「生きる絵と死んだ絵」を探す。


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by yasutakeiwana | 2011-12-27 11:04

Weihnachtsmarkt(クリスマス市場)

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by yasutakeiwana | 2011-12-24 21:47

ドローイングプロジェクト「Snake」

デュッセルドルフ在住の写真家Katja StukeとOliver Sieberが2008年より開始したドローイングプロジェクト「Snake」の1ページに僕のドローイングが2枚加えられました。
詳細は下記のウェブサイトにてご覧下さい。

http://www.boehmkobayashi.de/snake/


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by yasutakeiwana | 2011-12-20 15:45

メケメケの木

大雨の次の日、2人の兄弟はお昼を食べてから橋の方に走り出す。

「メケメケの木 来ないかな?」
「メケメケの木 来ないかな?」

朝から冷たい紺色の風が吹いて、北の山から土色の水がゴロゴロと降りて来て狭い川を揺らした。
川の魚も蟹も姿を消した。
向こう岸の土手を九十さんが犬と一緒に歩いている。
兄が手を振った。弟も手を振った。九十さんも手を振った。

「ぼくたち メケメケの木をさがしてる」
「本当かい。わたしもちょうど君たちと同じくらいのときに見たよ。
大雨の次の日だったよ。お父さんやお母さんたちは大雨の片付けで大変だったけど、わたしはひとりで川にいたよ。メケメケの木綺麗だったよ。
南天の葉に落ちた雨粒のひかりが大きな数珠になったみたいで本当に綺麗だったよ。」

兄弟は顔を見合わせた。
「メケメケの木 ぼくたちに来るかな?」
それから2人がもう一度向こう岸を見ると九十さんは消えていた。
紐を引きずった犬が一匹歩いている。
それを見た弟が口を尖らせて涙を浮かべた。
兄弟は少し大きな掌と小さな掌を固くつないだ。

「メケメケの木 どこにも行かないで」
「メケメケの木 ここにいる」

空が青白く沈んで、雨上がりの星が点々と輝いた。
最終の無人電車が川を通り過ぎるまで兄弟は橋の上にいた。
いつまでもつないだ冷えたふたつの掌が遠くの山の重なりのようだった。


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by yasutakeiwana | 2011-12-16 00:24

地方美術についてのメモ(2)

日本にいた頃に憧れていたインターナショナルやグローバルという言葉に虚しさを感じるようになったのはなぜだろう。表現はもっと深いところに降りていかないといけないはずだ。

10月に奈良県で開催された芸術祭に出品した。展示場所は江戸明治時代の町家。オファーをいただいたとき、それが何か必然的なことであったような気がした。派手なゲームはいらない。「貧しい美しさ」が必要だと感じた。

母校の講演とこの間アトリエに来られた学生さんに「なぜ絵を描くんですか?」と聞かれたとき、ふと浮かんだのは故郷の山と会ったことのない祖先たちだった。

子供の頃に観た「魔女の宅急便」に出て来た森に住む絵描きの女の子は「血で描く」と言っていた。奈良の芸術祭もそうだったけど、最近地方での芸術祭が活発になって来ている。しかしこの「血で描く」という言葉を抜くとただの文化祭の延長でしかない。

田舎にいた頃にお世話になった画家さんの訃報をふと耳にした。詳細はわからない。町の画家は何も残さない。地元の公民館や学校にただ名もなき絵だけが残る。

10月に帰国したとき地元のアートシーンを少し覗いた。僕の祖父母世代の町の絵描きたちの作品は新しくはないが、彼らがこの土地で生きて働き、そこから生まれた絵画のようで何だか胸に響いた。反対に僕の親世代の作家の多くは都会のコンテンポラリーアートの地方版でしかなく何ひとつ感動は生まれなかった。ではさらに若い世代の僕たちのような地方の作家は何を作ればいいのか。公募団体に付いて行っては新しいアートは生まれない。コンテンポラリーアートの地方版では価値はない。
その土地にしか生まれえない新しいアートがあるはずだ。


伝統的な町屋空間と作家の詩精神を載せた筆力によって咲いた「再生の花」。
その絵は、空間を漂う空気に知覚が慣れ始めたころ、ようやくイメージがせり出してくる。時間をかけてゆっくりと像が浮かび上がり、そして瞼に染み込んでいく。
その遅度は古民家という空間とやわらかな調和をみせている。
(一部省略)
静かで優しく、そして穏やかな佇まいではあるが、それゆえに絵画本来が発揮しうる真の勁(つよ)さを感じさせる。その勁さは、デジタルメディアが我々の知覚に強制する感性の高速化に伴う様々な障害をも跳ね返すことだろう。
京谷裕彰(詩人)『岩名泰岳(HANARART/ならまち各所)』より


いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』より


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2011年10月「奈良・町家の芸術祭HANARART」会期中に開催されたトークセッション。左からやまもとあつし氏(司会)、岩名泰岳、衣川泰典氏、三瀬夏之介氏
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by yasutakeiwana | 2011-12-10 07:32

地方美術についてのメモ(1)

2001年ニューヨークの巨大ビルにハイジャックされた一機の飛行機が突っ込んだその日から、グローバルとローカルの果てしもない戦いがはじまった。その3年後、わたしの村は市町村合併によって消された。
村の消滅を知ったとき、わたしは14才で「村の心の欠片を描きつづけたい」と思った。独学で絵を描きはじめ学校の空き教室で個展を開いた。最後の「村民展覧会」に出品した絵は「抵抗を抱く民衆」という名前だった。

やがて本格的に美術を学ぼうと村を出たが、学んだものは移り変わる現代アートという流行と美大生たちが憧れる欧米のアートニュースだけだった。疲れたわたしは地元の森にスケッチブックを持って出掛けた。森のお地蔵さんや木の実を描いて夜になった。そこで星を見た。村の風土が再びわたしに絵を教えてくれた。

ドイツでひとり制作するようになって、僕たちが追いかけてきた「現代アート」というものは日本人の欧米文化への幻想ではなかったのかと思うようになった。もしそうだとしたら今日本に存在する多くのアートと呼ばれているものはとても虚しい。

理解されなくてもいい。無視されてもいいのでドイツで村の絵を描いた。
3月に日本で大震災が起きた。
求められるのは心の問題で、アートマーケットや自己表現的なアヴァンギャルドではない。
国家や社会の枠を越えた共同体や人間の繋がりの再生である。

4月に京都の小さな村で展覧会があった。「村の春」と描いた絵を日本に送った。

「現代の切実な表現活動は、都会でしか生きられない柔なものではないはずで、むしろ、故郷や原風景のなかで試されるべきである(一部省略)岩名泰岳の表現の前で、私たちは絵画の力とは絵画を描く情熱であるというロマンティシズムに(一部省略)日本固有の環境の中で醸成された絵画への持続する情熱こそ、グローバルな時代の平板な流行とは別の、現在の絵画表現における普遍的な問題と符号するのであろう」
永草次郎(美術評論家)『Visual Sensation vol.4に捧ぐ』より抜粋


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「村の春(仮)」2011年4月ギャラリーDen mymにて。
のちに数名の作家によって加筆される。南山城村役場所蔵
©Yasutake Iwana
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by yasutakeiwana | 2011-12-09 11:51

村人

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村人
2011年
コンテ、インク、アクリル、紙
30×30cm
©Yasutake Iwana
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by yasutakeiwana | 2011-12-07 08:28