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11月のメモ

ただいまドイツのアトリエ

散る星と咲く星
屋根裏の小さな絵

村に帰ってはじめに見たものは青白い夜を走る無人列車の灯だった

僕は「村」と言っているけど村はもうない
僕は幽霊のようなものなのです

忘れちゃダメだ、自分が信じたもの

画家よ野に下れ

魚のお墓で花が泣いて鶏のお墓で草が笑った

冷たい冬の川底に
水が通って紅い川蟹と古い村人が曇り硝子のように映っている
掌の暗い水に星の粒が揺れていた

空の青が滲んだ水際で朱色の魚が震えている

何かを祈ったが誰に何を祈ったのかわからない
夜が深くなる

田舎にいた頃お世話になった画家の訃報を耳にした。
詳細は何もわからない。町の画家というのは何も残さない。
田舎の公民館や学校にただ名もない絵だけが残る。
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by yasutakeiwana | 2011-11-30 20:07

もこもこもこ さようなら

(今日のブログは伊賀弁)

明日11月26日は元永定正先生のお別れ会が宝塚で開かれるそうです。
しかも明日は先生のお誕生日。
この間ブログでも書いたけど、先生の88年の人生の中で僕が出会ったのは最後のたった8年だけやったけど僕の胸の中には今でももーやんとの思い出がいっぱいです。


1922年(大正11年)伊賀上野生まれのもーやん
子供の頃、映画俳優か歌唄いか絵描きになりたかったもーやん
国鉄から郵便局、土方にセールスマンに子供の絵とダンスの先生をしてたもーやん
画家になって、映画に出て、リサイタルも開いたもーやん
お酒と演歌とダジャレが大好きだったもーやん
学生の才能を見つけるのが上手やったもーやん
でも自分が一番じゃないとスネるもーやん
老若男女だれからも愛されたもーやん
いつでも奥さん自慢やったもーやん


ドイツに来て少し経ってから、友達に安い電話を借りて先生に電話したことがありました。
「先生、元気にしてはりますか?」
「ボチボチやわ。でも毎日絵描いてます。絵描きは家にいてもできる仕事やさかいええわぁ」
ちょうどその頃僕は今のアトリエに住みはじめたばかりで、ひとりで部屋の改装をしながら空いた場所で絵を描いていて、大学に絵を持って行っても誰とも言葉が全然通じない毎日でした。だからこのとき久しぶりに先生と話してえらい元気をもらいました。それからもーやんが三重の財団に推薦してくれて留学の助成金をもらいました。今から思ったら病気でしんどいときやったのにわざわざ手紙書いてくれて、、
「俺の一番若い教え子やねん」と知り合いによく僕を紹介してくれたもーやん。あれからあっという間に8年が経ってほんまに僕が最後の教え子になってしまいました。もっと立派な絵描きになっていつかいっぱい恩返ししたいです。

楽しいことが大好きな先生やったから明日のお別れ会もきっと素敵な会になるでしょう。元永先生、お別れ会行けんくてごめんなさい。明日はいっぱい楽しんでくださいね。ほんまにありがとうございました。
最後にもう一度さようなら。


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元永先生と谷川俊太郎さんの絵本『もこもこもこ』
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by yasutakeiwana | 2011-11-25 12:20

絵の先生

ひょんなことから幼稚園の子に絵を教えることになった。
10月に帰国しときに中学校で美術の授業を教えたり展覧会の会期中にワークショップをさせていただいたが小さな子供に絵を教えるのは今回が初めて。
最初の授業は「かぞくのえ」みんな天才ですごくいい絵を描いてくれた。

「絵具は使い終わったらすぐ蓋を閉めましょう」「筆とパレットを綺麗に洗いましょう」なんてお母さんの前で先生らしいことを言ってしまったが、自分のアトリエに帰って来ると壁は絵具まみれで洗ってない筆やパレット、蓋の開いた絵具のチューブが散乱している。。
考えてみれば、小5の図工の成績はCだった。中学生まで人間の指は3本しか描けなかったし、高校のときも庭で大きな絵を描いていて壁や洗濯物に絵具をいっぱい付けてよく怒られた。今だに九九と分数の計算ができないし絵具は3色しか使えない。僕は先生じゃなくて絵描きです。美術教育というのは苦手です。子供たちには反面教師でちゃんとした大人になってほしい。でも何より思い切り楽しく絵を描こう。

僕の講演会を聴いてくれた地元の中学の女の子の感想文
「私は絵がうまくないけれど、岩名さんの絵を見て元気が出たので頑張って絵を書きたいです」
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by yasutakeiwana | 2011-11-25 04:07

畑の魚(ある村のスケッチ.02)

翌朝、朝霧が消えると水車小屋で一晩を越した老人は枯れ草色の畑跡にぽっかりと空いた黒い穴のような焼き場から小さな白い欠片を拾って畑の隅に埋めた。羽根の折れた蝶が地を這うように墓を横切った。生まれて来る季節が少し早かったらしい。
 昼過ぎに役場の男たちが4人ほど小屋の掃除にやって来た。小屋の中は昼間でも薄暗く村人の差し入れた食料や野菜の残りが散らかっていた。ひとりの役場の男が壁に立てかけられた1枚のカンバスを見つけた。縦横40㎝ほどのその絵は異様に重く、埃まみれの絵具が何十層と積み重なっているようだった。くすんだ紅色の暗闇に白い花が一本弱々しい筆致で描かれていた。そばに置いてあった板きれには赤や黄色の鮮やかな絵具が乗っていた。それがかえってこの絵の暗さを際立てた。画面の端に触れた黒ずんだ男の指が赤く染んだ。慌てて首に巻いた手拭で拭いたが、その赤黒い油絵具は肉の塊のようにへばりついて取れない。男は苛立ってカンバスを床に投げ捨てた。もうひとりの職員が寄って来た。
「何やそれ?ひょっとしてあの仏さん、偉い絵描きさんやったのとちゃうか?」
「こんな汚い絵。高くで売れたらええねんけどなぁ」
役場の男たちは大きなゴミ袋にこの小屋で暮らしていた男の寝袋や服、絵具箱を詰めてトラックに乗せた。
「ほな、おっちゃん俺等は戻るわ。あの絵ほしかったら持って帰ってええで」
男たちは笑いながら小屋を後にした。
 ひとり小屋に残った老人はあの「花の絵」を眺めている。青白い花びらは月の光を鈍く浴びた病気の女の透けた肌のようだった。老人は村に流れ着いて孤独の果てに死んだ男の無念を感じ取ったが、板きれのパレットに搾られたあの鮮やかの絵具のことをふと思い出した。ひょっとすると男が本当に描こうとしていたのはあの鮮やかな色の絵だったのではないかとさえ思った。そのまま時間が過ぎて少し遠くで村のサイレンが鳴りはじめた。烏の群れが森に退く音がする。老人も荷物をまとめて小屋を出た。帰り際に畑に行って墓に掌を合わせた。老人が絵を持ち帰ったかどうかはわからない。
 老人は街で生まれたが祖母は村の出だった。幼い頃「畑の金魚」という村の昔話をよく聞かせてくれた。詳しい内容を老人はもう思い出すことはできないが。

‥最後に死んだ金魚を少年たちは畑に埋めた。
烏が山からやって来る前に埋めなさいと誰かに言った。だから少年たちは急いで穴を掘って大きな金魚を埋めた。野の草を供えて掌を合わせた。
それからその冬は大きな山崩れがあって村人の多くが亡くなったが、少年たちと家は無事だった。春になって少年が畑に行くと魚の墓に白い花が点々と咲いていた。
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by yasutakeiwana | 2011-11-23 19:12

水車小屋(ある村のスケッチ.01)

里の霜が退くとまだ青臭くない柔らかな芽があちこちに吹きはじめた。
北の山の方に向かう人影が小さく映った。10年ほど前に村に移って来た老人である。この男は街の保険会社で30年ほど働いたが定年を前に仕事を辞めた。成人した2人の娘は街に残り、妻は決して喜ばなかったが男と一緒に村に住みはじめた。夫婦は古い農家を改装して住みはじめ、小さな畑を借りて持ち主のいなくなった森の世話をしていた。
村の冬は厳しい。雪は滅多に降らないが師走に入ると山が凍りはじめ、その冷えた風が里に降りる。村人たちは家に閉じ籠ってひたすら「冬の祭」を待った。「冬の祭」というのはこの地方に古くから残る「春を招く祭」で、如月の終わりに村人たちがその年に穫れた農作物で大きな鬼の頭と岩のような餅の塊をこしらえて山の麓の古寺に向かって練り歩く。
 老人が山に向かったのはこの祭が終わって一月ほどしてからである。椎茸農家の横の細い山道を進んだところに古い水車小屋がある。川の水かさが減ってもう何十年も使われていない。苔の沸いた重い戸を老人が開ける。
「どうや?具合の方は」
返事はない。炉のそばに人の骸がひとつあった。
秋の終わりにどこからか流れて来た40くらいの男だった。名前もなく何も話さなかった。初めは村の駅舎に住み着いたが街で働く通勤の村人に笑われ、学生たちに小石やゴミを投げつけられた。いつからかこの村はずれの水車小屋で暮らしはじめ、村の老人たちはたまに暖かい食事を届けにやって来た。古びた黄色いリュックに絵具が一式入っていて小さなカンバスにわずかな絵具で絵を描く姿を飯を届けに来た椎茸農家の女が見ていた。
老人は炭を買いに車で街に出掛けて小屋に戻って来た頃には既に日が沈みはじめていた。小屋の横に荒れた小さな畑の跡があって、人の膝くらいまで伸びた草を人一人寝かせられるほどの広さに刈ってから、黒ずんだ麻袋3杯の炭をそこに敷いて老人は骸を焼いた。誰もいない水車小屋で老人は一晩過ごした。火のせいか獣もいない。ふと穴の空いた木の隙間から外を覗いた。森の暗闇に焼けた炭の影が朱色の鮮やかなひかりをいつまでも放ちつづけていて青白い煙が形もなく冷たい星空に登った。


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「夜の畑」油彩、キャンバス、50×40cm 個人蔵
©2011 Yasutake Iwana
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by yasutakeiwana | 2011-11-21 23:17

色の記憶

名前のない花の形をずっと忘れられないように
いつか掌を濡らした土の温かさを忘れることはない
絵具の粒はあの土みたいにきらきらしてる
いつか滲んだ血の暗さを忘れることはない
絵具の粒はあの血みたいにきらきらしてる
いつか触れた夜空の冷たさを忘れることはない
絵具の粒はあの空みたいにきらきらしてる


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by yasutakeiwana | 2011-11-18 16:33

屋根裏の花

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2011年10月「奈良・町家の芸術祭HANARART」森家での展示
©2011 Yasutake Iwana
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by yasutakeiwana | 2011-11-13 19:50

花々の再生(奈良の出会いから)

10月に開催された「奈良・町家の芸術祭HANARART」でのアーティストコメント

僕が絵描きになろうと思ったのは14才のときで、ちょうど自分の村が合併でなくなる直前だった。
何もない小さな田舎だけれど僕は村の自然と村の人たちが好きだ。だから村の名前がなくなるということは自分の大切なものがどこかへ消えてしまいそうで悲しかった。だから村が消えたとき、僕の描く下手な絵は村の魂の欠片でありたいと願った。
あれから10年が経ったけれど、最近あの頃の気持ちをよく思い出す。村への気持ち、自然への気持ち、人への気持ち。自然は人の意思に関係なく時にやさしく、時にひどく厳しい。僕たちの祖先はこの厳しく豊かな風土の中で生まれ死んで往った。しかし生活が便利になった今の僕たちはすべてのものが人の手で叶えられると勘違いしていたのかも知れない。人は再び、自然の大きさ、家族や共同体の絆の大切さを知ったのだと思う。
今回展示する絵はすべて花の絵である。父が飼っていた大和郡山の大きな金魚が死んだとき、僕たちは畑の隅にそれを埋めた。春が来て金魚のお墓に小さな花が咲いた。すべてのものはいつか必ず去って往く。しかしその暗闇から再び生まれる小さなひかりもあるということをこのとき僕は知った気がする。奈良は歴史的にも古い街である。伝統的な町家空間と僕の絵との繋がりがひとつの「再生の花」を咲かせてくれれば嬉しい。

2011年秋、Düsseldorfのアトリエにて 岩名泰岳



様々な方がブログやツイッター等で今回の展示や作品について書いて下さっていましたのでいくつかご紹介させていただきます。

詩人京谷裕彰さんのブログ。
http://zatsuzatsukyoyasai.blogspot.com/2011/10/hanarart_31.html

アートライター小吹隆文さんのブログ。
http://blog.livedoor.jp/artkobujime/archives/1844924.html

インテリア・アートコーディネーター奥村くみさんのブログ。
http://allier.exblog.jp/16791732/


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岩名泰岳「赤い魚と花」2011 Oil on Canvas 50×40cm
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by yasutakeiwana | 2011-11-08 18:25

村の灯

村に帰って最初に見たものは
青白い夜を走る無人列車の灯りだった。
2011.10.7


夕暮れの森に入って行く。
青臭い湿気に足が重くなり、土手を赤黄色い獣が駆け上がった。狐だろうか、いつかもここで出会った痩せた獣である。
古い地蔵が森に点々とあった。村にもあちらこちらに地蔵がある。古い時代、伊賀人たちは殺され生き延びた農民たちが供養のために地蔵を彫ったらしい。
笑う地蔵の優しい顔が長い雨風に削られていた。


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by yasutakeiwana | 2011-11-06 20:39

ドイツに帰る

1ヶ月の日本滞在もあっという間に終わり、昨日デュッセルドルフのアトリエに帰って来た。高い天井と描きさしのキャンバス。
クリスチャンとヒロくんに伊賀のかたやきを渡してピザ屋の親父の店に行く。久しぶりに食べるオリーブとアンチョビのピザ。セルビア語の数の数え方を教えてもらった。
日本でのあの慌ただしい日々は何だったのだろうか、と思えるほど秋の景色を迎えたドイツの街はのんびりしている。というかドイツでの僕がのんびりしているんだろう。またしばらくここで絵を描いて行くんだ。


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by yasutakeiwana | 2011-11-04 21:32