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モンパルナス

ジェラール・フィリップがモディリアーニを演じた「モンパルナスの灯」という古いフランス映画があった。
短いパリ滞在で最後に行き着いたのはモンパルナスだった。街は再開発で高層ビルが建っていて貧しい芸術家たちが住んでいた当時の面影はわずかしか残っていない。
僕はモンパルナス美術館という公民館のような小さな美術館を訪れた。白い建物は緑や蔦に覆われていて館内は受付のおばさんひとり、古いオーディオからシャンソンが流れていてエコール・ド・パリ時代のイラストやドローイングが展示されていた。何とものんびりとした場所だった。
最後に「ラ・セレクト」という当時の芸術家や詩人たちの溜まり場だったカフェで一服。冷えたレモネードを飲みながら電車の時間までドローイングを描いていた。


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by yasutakeiwana | 2011-08-24 20:57

画家のお墓

なぜパリに行ったのかと言うとモディリアーニのお墓に参ろうと思ったから。
美術館の帰りに墓地を訪ねた。そこはパリで1番大きな墓地らしく方向音痴の僕は地図を見てもどこにだれの墓があるのかさっぱり。夕暮れまで墓は見つからず、陽も落ちて来て雨も降りそうで目の前には数え切れない墓石。僕はすごく疲れて帰りたくなってそれでも悔しくて途方に暮れた。残念だけど仕方なく帰ろうと思ったとき、足下にあった小さな墓を見たら石棺に[AMEDEO MODIGLIANI]と書いてあった。僕がずっと探していたものだった。
結局2時間近くモディリアーニのお墓を探していた。やっと見つけた小さな墓の前にしばらく立っていた。尊敬する画家はここに眠っている。近くに成っていた小さな木の実をお墓に供えて宿に帰った。

アートの神様はやっぱりどこかにいる。

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by yasutakeiwana | 2011-08-22 18:12

古い画集のパリ

8月18日。早朝の電車でデュッセルドルフを出た。行き先はパリ。ケルンで特急に乗り換えてベルギーを越えてフランスに入った。
だけど僕は旅行が苦手なのだ。

美術館も絵画教室もない小さな村で中学生の僕に絵を教えてくれたのは村の風土と学校の図書室にあった古い画集たちだった。印刷は荒くて最新号がピカソで終わっていたけど、その頃の僕には何もかもが新鮮で毎日たくさんの画集を借りて教室の自分の机に積んで下手くそな模写をしていた。中でも20世紀初めの「エコール・ド・パリ」の画家たちには1番影響を受けてシャガール、ピカソ、マティス、ルオー、モディリアーニ。彼らの貧しくても自由な生き方に憧れていた。

古い画集を読みはじめて画家になろうと思ったのが14才。
ちょうど10年目にして初めてのパリに着く。


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by yasutakeiwana | 2011-08-20 18:36

お知らせ〈SHAKEART! vol.6〉インタヴュー記事

アートフリーマガジン『SHAKEART! vol.6』の特集「THE INTERNATIONALSTUDENTS」にて僕のインタヴューが掲載されています。ドイツでの制作や留学生活で見つけた大切なものについてお話させていただいています。ご一読のほどよろしくお願いいたします。
http://shakeart.jp/shakeart/archives/403

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by yasutakeiwana | 2011-08-20 00:00

夏の終わりの紺の川

いつものこの時期になると「仏さんが帰って来はる」と村の人たちが言っていた。

2度目を迎えるドイツの夏は去年よりもずっと冷たい気がする。暖かい日もあるけどそういう日は冷たい雨が降って翌日はすごく冷える。次の展覧会に向けて毎日絵を描いている。宇宙から流れて来た隕石にDNAがくっついていてそれが地球の生命になったというニュースを最近読んだけど、絵も似たようなもので良い絵はたくさんできるようになったけどすごくいい絵ができるのは本当に稀だ。だけど描かないと何も起こらないから毎日描くしかない。

小さい頃、お盆の終わりの夜に祖母や父に連れられて仏さんを川に流しに行っていた。紺色の暗い川に果物や花の黄色や朱色がちかちかと消えて行った。街や村の人たちも自分の家の仏さんの見送りに橋の上に集まった。祖母は「川は仏さんの帰る道」だと言っていた。忘れられない小さな夏の風景だった。


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by yasutakeiwana | 2011-08-16 13:43

木の実と水の星

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村の川岸で小さな器のかけらを拾った。
川の底に小さな魚と蟹と古い村人が泳いでいる。
掌にすくった冷たい水に星の粒が揺れていた。
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by yasutakeiwana | 2011-08-09 17:08

散歩

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by yasutakeiwana | 2011-08-05 20:31

竹やぶと燕

子供の頃は病気があってよく幼稚園を休んだ。咳が出るとその頃一緒に暮らしていた祖母が少し離れた町外れの病院にバスで僕を連れて行ってくれた。
ある日の夕暮れ。病院の帰り道。道端に1羽の燕の亡骸があった。くたびれた羽根と濡れたような瞳。とても軽い亡骸だった。祖母はこの燕を埋めてあげようと言う。病院の裏の方にあった小さな竹やぶにそいつを埋めてあげた。ふたりの掌は泥だらけになってあたりはもう薄暗くなっていた。ぐずつく僕に「カミ様は全部見てくれているから」と祖母は言った。
それからしばらくして病院に行くと燕を埋めた竹やぶは小さなアパートに変わっていた。燕のお墓の上で誰かが暮らしていた。いつの間にか祖母はそのことを忘れて僕もそのことを忘れた。


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by yasutakeiwana | 2011-08-04 08:58

7月のメモ

ドイツに出発する日の朝に中学から絵を描いている小さな部屋に行くと描きさしの油絵が何枚か並んでいて「またここに帰ってきて描き上げよう」と思った。

アカデミーのドイツ人の学生たちと同じ生き方をしてはいけない。ひとりでもいい。忘れられてもいい。昨日よりいいものを作っていかないと来た意味がない。

僕が死んで1枚も絵は残らなくて、それでも「昔あそこの村で変な爺さんが絵を描いていた」と誰かが言ってくれたらそれでいい。

ドイツの冷たい夏の夜。アトリエの隅にあった描きかけのキャンバスに白い花の絵を描いた。

落ちていた紙切れに絵を描いた。草と子供と木の実の絵になった。

絵が与えてくれる優しさ。大切なんだ。

野の人のスケッチ。

今日の絵にさよならをした。なんだかんだいいながら絵は生まれ変わる。頑張って描いたあの絵を忘れて新しい絵を描く。

自分の下手さに気付かないのは幸せだ。それでも絵画からは逃げれない。ここで絵画を否定したら自分がいなくなる気がする。

赤い花の絵と魚のお墓の絵。

できすぎた絵は消してしまう。よくできた1枚の絵を描くより下手な星の数ほどある絵を描きつづけたい

サヨナラノ花。ソレデモ消エナイ花。

経済的な豊かさだけではもう幸せにはなれない。そして社会や人々の生活は変わろうとしている。絵の中でも「本当の幸せの在処」を探しているんだと思う。

土に汚れても握った掌。雨に濡れても握った掌。

死を含んだやさしい絵を描きたい。
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by yasutakeiwana | 2011-08-02 18:22

世界のやさしさ

僕は世界のかけらを
どこに捨てたのか忘れてしまった
だけど
消えないひかりを何より強く抱きしめた


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by yasutakeiwana | 2011-08-01 18:29