<   2011年 07月 ( 10 )   > この月の画像一覧

ふたつの場所

先日急に親しらずが痛くなって初めてドイツの歯医者に行って来た。
院内はお洒落な抽象絵画が効果的に配置されていて歯の痛みも忘れてびっくり。生活の中にアートが高いクオリティで存在する国。ドイツのアトリエで制作しはじめて思ったことは、西洋で生まれた「絵画」はやっぱり西洋の建築空間と密接に関係している。同じ絵でもヨーロッパの美術館で観るのと日本の美術館にやって来たものを観るのとでは全然違って見える。僕の実家は中途半端な和風の家だったのでどれだけたくさん絵を描いても自分の絵を掛ける場所が家になかった。
じゃあ日本の住居空間とアートは全く噛み合ないのかというとそうでもない気がする。明治期に日本に入って来た「洋画」とそれを掛ける「洋間」との関係は近代日本のひとつの生活文化であったと思うし、すべてが西洋化されてしまうとかっこいいのかも知れないけどやっぱり何だか味気ない気もする。新しいアートは正統な場所からは生まれてこなかったりもする。そんなことをドイツのアトリエでぼんやり考えながら10月の奈良の町家に展示する絵を描く毎日。


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1900年(明治33年)の展示風景(第5回白馬会展覧会)
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by yasutakeiwana | 2011-07-30 21:06

花と木の実のスケッチ

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by yasutakeiwana | 2011-07-28 19:09

サヨナラノ花

だれかがいた場所とだれもいなかった場所

さよならの花
それでも消えない花

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by yasutakeiwana | 2011-07-25 23:14

眠っていた言葉

先週、日本の学生の方からインタヴューを受けた。
アート系フリーペーパーで留学生の特集をするらしい。
僕はちゃんとした留学生でもないので何を話したらいいのかわからないし後輩へのアドバイスなんて勿論できない。だけど英語やドイツ語では話せなくて日本語では伝える相手のいない不完全燃焼の言葉がずっとどこかに眠っていた。このインタヴューは記者の質問に答えるのと同時に今の自分自身への問いでもあった気がする。ドイツに初めて来たときのこと、初めてアカデミーを訪ねたときのこと、アトリエを手に入れたときのこと、初めてのドイツでの展覧会のこと、今後の制作のこと。僕は自分が触れたもののことしか話せないしそれらを手がかりにして自分の小さな道を進んで行くことしかできない。だけどこの気持ちはまだ見たこともない場所に繋がっていたり自分の生まれた場所に帰って行くものであってほしいといつも願っている。


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by yasutakeiwana | 2011-07-21 08:29

田の人のスケッチ

暗い茂みに通った陽を掌に受けた
田の人は風の塵で田の人は雨の粒
山から夏の水が降りてくる
村の子は川底の魚を覗いた
田の人は風の塵で田の人は雨の粒


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by yasutakeiwana | 2011-07-13 18:02

魔女の宅急便

日本で「魔女の宅急便」が放送されていたみたいなので久しぶりに観てみた。
知らない街への旅立ちと修行。主人公のキキが初めて街にやって来たときの街の人たちの冷たい反応と公園で途方に暮れるキキ、、自分が初めてドイツにやって来た日のことを思い出した。僕も街に行き場がなくて美術館の横の公園でパンをかじって絵を描いていた。映画の中盤でキキは空を飛ぶという自分の唯一の特技(魔法)を失ってスランプに堕ちる。そのとき彼女を励ましたのは森に住む絵描きの女の子だった。ドイツに来たばかりの頃の僕は知らない土地でこれから何を描いていいのかわからなかった。街でもアカデミーでも言葉は通じない。住みはじめたばかりの何もないアトリエでひとりジタバタしながら毎日下手な絵を描いていた。唯一信じることができたのは絵描きである自分の「血」だったんだろうな。僕にはそれしかなかった。あるとき本当に大切なものに出会えた気がしてその日からまた自然と絵がたくさん描けるようになった。
ずっとこれは女の子の観る映画だと思っていたけど、何年かぶりにドイツで観た「魔女の宅急便」はあまりに最近の自分と重なっていた。

画家の女の子「魔女の血、絵描きの血、パン職人の血..神様か誰かがくれた力なんだよね、お陰で苦労もするけどさ」


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by yasutakeiwana | 2011-07-09 18:39

6月のメモ

山ノ音 水ト虹ノ流レル向コウ。

ドイツにいてもいろんな人たちと繋がっている。しかもそれは僕の力と関係ないところで。ほんとアートの神さまに感謝。

自分の中で決めているのは空想や妄想を絵にしないことだ。絵空事で終わりたくない。

言葉になる前の線と言葉が溶けた色。

ふと窓際の植木を見たら白い花はすべて散って小さな実が成りはじめていた。名前も知らない普通の木。だけど美しい。

森で拾った木の枝でドローイングをしている。ささくれた傷跡のような線ができる。

ずっと昔、地元の田舎の公民館で個展をしていて「こんな場所でアートをやっていても誰も来ない」と一瞬思った自分をドイツに来てからすごく反省。悪いのはアートの不毛な地域ではなくて自分の実力が足りなかっただけだから。

戦後の急激な経済発展の中で日本人が忘れてしまったのは共同体の絆だった。それが「3.11」で再び問われる形になった気がする。自分の表現はいつまでも地と繋がったものでありたい。

誰のせいでもない雨が降っている。

朝起きたらアトリエに山のようなビール瓶とワインボトル。祭のあと。それでも僕はここで作品作る。

ドイツの画家は面(Fläche)と線(Linie)への意識が日本人より遥かに高い気がする。若い絵描きでもセザンヌやピカソの話が当たり前のようにでてくる。

自分では伝統的な日本を描こうなんて思ったことはない。たまたま僕の村の道端に古いお地蔵さんがあって家の近くに森があっただけ。

抽象画が放つロマンティックな輝きは魅力的だけど、それだけではただの物質に過ぎない。

なぜ絵を描くのか。なぜドイツにやって来たのか。なぜ伊賀の村なのか。毎日自分に問い続けないといけない。

だけど油彩画の身体はフラットな画よりもっともっと深いはずだ。

アトリエに吹き込む夜風が気持ちいい。ベルギーで買ったチョコレートが残っていた。

夜中に油彩を描き上げた。村の絵だ。夜の人たちが笑ってる。

絵は本来、命を表すひとつの形だった。
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by yasutakeiwana | 2011-07-08 08:19

夜のアトリエ

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by yasutakeiwana | 2011-07-07 18:54

花の絵

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ドイツの冷たい夏の夜。
アトリエの隅にあった描きかけのキャンバスを白く塗って花の絵を描いた。

最近花の絵が増えた。別に花が好きとか綺麗とか思うことはないし、花の描き方も知らないので下手な花の絵がたくさんできる。そういえば手島さんのブログでうちの実家が紹介されていた。日本にいた頃、僕の周りには自然が溢れていて実家の手伝いで朝から夕方まで花の世話をしていた。花に水をやって病気の花の手入れをして、土を代えた。咲く花と散る花。花に集まる虫たち。吹いた芽と枯れた根っこ。休憩の合間にポケットの紙切れに花の絵を描いて枯れた葉っぱをコラージュしていた。
僕が描いているのは僕が触れているすべてのものなんだろうな。それが花という形で絵になっているんだと思う。
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by yasutakeiwana | 2011-07-07 02:27

小さな日常 

太ったドイツ人の家族が息を切らしてホームを駆け上がった。
僕は荒れた線路の草花を見つめている。
2011.07.03 Essen Hügel

金曜..クリスチャンの誕生日。夕食に茄子のパスタと和風ポークソテーをごちそうする。夜、クリスチャンの友達のユリアがお祝いに来たので僕も混ぜてもらって事務所で3人でお祝い。
土曜..男2人(ドイツ人と絵描き)の家は散らかり放題。朝からキッチンの掃除。
日曜..朝からエッセンへ。昼過ぎにデュッセルドルフに戻って知人宅のパーティーにお邪魔する。客は日本人僕だけ。隣に座っていたアンネッテにワインをいっぱい飲まされる。
夜中に目が覚めた。窓の外はほんのり明るい。ノートを開けてドローイング。朝を待つ。


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by yasutakeiwana | 2011-07-04 19:00