カテゴリ:日記( 15 )

心ガ村ニ帰ル(村に帰って来た成人式)

平成26年島ヶ原地区成人式
2014年1月12日(日)
島ヶ原会館


今年から成人式が村に帰ってきた。
僕が成人を迎えたときは市町村合併の後だったので、街の文化会館で成人式が開催された。
形式だけの式典、暴れることでしか輝けない同世代の若者たち、来賓の政治家の「夢を持て」という無責任な言葉しか記憶にない。

今年は約10年ぶりに村の公民館で成人式が開催されて、式典の後半は地元の実行委員会で企画できるというもの。新成人たちへの祝辞と、「蜜の木」ではチラシと舞台デザイン、プログラム構成、企画の一部を担当することになった。

(成人式会場が分散したことに対しては様々な意見があるようだ。「高校の友達と会えない」「地域と新成人との結びつきが強くなる」「企画が大変」「盛り上がりに欠ける」)


僕の住む島ヶ原地区は伊賀市の中でも新成人の人数が1番少ない19人。
派手なことはできないが深みのある式典をすることが僕の願いだった。
島ヶ原の風土をモチーフにした絵を描いて「蜜の木」の若者たちと横5mの舞台看板を制作した。
村の伝統芸能や土着信仰のアイコンを舞台に配置する(獅子頭、鬼頭、、)
カナダに留学している新成人の子がいると聞いて、スカイプ中継をみんなで企画した。

この若者たちのアイディアは、村の保守的な有力者との見えない攻防でもあった。
これまでの村の若者たちは何もできず、長老たちに従い地元に残るか、街に出て家庭を築くしかなかった。今は少し違うのだ。土地の若者の繋がりもできはじめ、大人の人たちの理解も少し増えた。


ローカルな神話とコンテンポラリーアートとグローバルネットワークを繋ぐ小さな集落の成人式に僕もドキドキした。今の時代を生きる上で「ローカル」と「グローバル」を同時に考えることは新しい。

式典で新成人のみんなに5分ほど話をした。
・僕たちは「3.11」後の、崩壊した日本に生きていること。
・僕は故郷の市町村合併でなくなってしまった村で新しい時代を作ろうと思ったこと。
・新しい時代を作るのは、都会に住む一部の才能やお金を持った特別な人たちだけではないということ。
・今ある社会の常識や古い価値観を壊して、大人たちに与えられた「価値」だけではなくて、あなたたちの新しい「価値」を自分たちの力で見つけてほしいということ。


テレビタレントのビデオメッセージやゆるキャラのダンスはなかったけど、違う世界がそこにあった。どんな小さな場所にも希望や美しさはある。村に帰ってきた成人式に関わった僕たちがそれを感じていた。


新成人のみんなは何を感じた?
つまらないことに流されるな、あなたの場所にはあなたの場所の良さがある。







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島ヶ原地区成人式のチラシ。挿絵:岩名泰岳 デザイン:島ヶ原村民芸術「蜜の木」



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成人式の舞台看板を制作する「蜜の木」の若者たち。



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朝日新聞(伊賀版)2014年1月10日





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新成人へのメッセージ。

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峰貴大君による新成人の誓い。

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カナダとスカイプ中継。

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今回の成人式に関わってくれた「蜜の木」メンバーたちと。
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by yasutakeiwana | 2014-01-13 19:42 | 日記

サヨナラ2013年

サヨナラ2013年。

昨年地元に帰国してから少しずつ準備を進めていたことが、
村外れのアトリエでの制作や、地元の若者たちとの芸術運動「蜜の木」が動き始めた1年でした。

ベルリンでもニューヨークでも上海でも東京でもない場所で、新しい芸術は可能なのか、退屈な地域社会そのものを創造力で変化させていくことができるのか、失敗もたくさんありましたが、村の境界やジャンルを越えてたくさんの人たちとの繋がりができたことは大きな価値でした。各地での展覧会や、地元での活動にご支援、応援いただいた皆様に心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

来年はより一層精進いたします。
2014年もどうぞよろしくお願いいたします。


2013.12.31 岩名泰岳




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by yasutakeiwana | 2013-12-31 12:14 | 日記

個展はじまりました。

芦屋での個展も無事はじまりました。
約20点の近作を展示中です。
今週は台風も来るそうですが、週末は再び芦屋に行ってギャラリートークです。


島ヶ原に本社を持つ株式会社ファイナルマーケットさんのウェブサイトでも今回の個展をご紹介していただいています。地元で応援してくださる企業さんがいてくださるのは大変うれしいことです。
ファイナルマーケットさんのウェブサイト、ぜひご覧ください。

http://www.fm-tnbase.co.jp/company/houmon.html
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by yasutakeiwana | 2013-10-15 20:45 | 日記

蜜の木のメモ 2013年7月

地元は信じられないほど暮らしやすくなりました。
車で少し街に出れば、買い物も食事も便利になりました。
知り合いだらけの村内と違って、そこには適度な匿名性があるのです。

しかし、そこが現代の日本の地方の中心だとしたら、日常の愚痴話と軽い消費しか存在しない恐ろしく閉じた便利な世界です。

3.11後にできた「蜜の木」に求めたものは、こうした場所に残った若者たち(英語も話せず、都市や海外での競争力を失った者たち、あるいは田畑を持たない者たち)が、もう一度村の古い祭りや、絵描きの郵便配達員が村はずれに残したアトリエと出会うことでした。

村の記憶を繋ぎ、新しい村人の創造力を産んでいくことです。


http://mitsu-no-ki.digiweb.jp/
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by yasutakeiwana | 2013-07-14 17:53 | 日記

春のアトリエ

4月7日(土)

強い雨。
朝から村の大工さんがアトリエに来てくれて打ち合わせ(幼馴染みのお父さん!)
来月アトリエが少し変身する。
ひとりじゃできないことも村の人たちの支えでできつつある。
楽しみだ。

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by yasutakeiwana | 2013-04-07 20:50 | 日記

あなたは土や水の粒。

村に帰って来ると、ビルだった空が山に変わっていた。
山の風が冬枯れの田に吹いて、混じった空気が紺色に輝いている。

年が明けてからいろんなことがある。
観音の森を描いた3枚の油絵と、アトリエに落ちていた木、村のおじさんに貸してもらった農作業用のムシロが東京のデパートのショーウィンドーに飾られた。トークショーにも呼んでもらって、近所の古寺のお札をスケッチブックに挟んで上京、世界中を飛び回ってる人たちに囲まれて村の話をする。

ずっと昔から「絵で故郷を守りたい」と思っていたので、村に残っている中学の同級生たちに声をかけて村民芸術というグループを作った。僕は土人でもあるが風人でもある。彼らは純粋な土人。みんな芸術とは無縁の人たち、そして消えてしまった村を救うことができる人たち。

芸術の輪郭を少し溶かして、物語を土から。



村ノ境ヲ越エテ行ク勇気ヲ持テ
人ノ心ヲ犯サヌヤサシサヲ持テ



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by yasutakeiwana | 2013-02-22 20:29 | 日記

小さな構想

来年から地元の村で進めていきたいプロジェクトの構想も追い込み。
過疎化の村は若者も少ないし僕の力でまだどうなるか全くわからないけど
名もなき土人たちの文化を創造力で新しい美学に変換していければ世界の景色も少し変わるんじゃないかな。


貧しいから美しくあるべきだし、弱いから戦うべきだ。



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by yasutakeiwana | 2012-12-12 21:54 | 日記

レネーの帰国と母校の講演会

10月16日(火)

京都の南山城村で開催中の「2つの森 Zwei Wälder」で一緒に展示して約2週間共に山奥で生活したレネー・シュピッツァー氏がドイツに帰国。夕方、一緒に村を出て大阪まで見送りに行った。
僕より年上なのに気まぐれでわがままで人騒がせな奴だったけど、やっぱりいなくなると何だか寂しい。
今回の展覧会で僕は彼から本当にたくさんのことを学んだ気がする。
展示は2人でディスカッションしながら明け方までかかったし、芸術家の生き方とか画家の宿命、制作や展示への徹底したこだわりや世界観の飛躍とか、テレビもネットもないレジデンスハウスで夜中までお酒を飲みながら、アートの話をしたり一緒に映画をみたりした。

彼がドイツに帰る前に言った言葉は「この展覧会は俺たちにとってとてもいいスタートになった」
世界の果てにいても僕たちの思考は宇宙に向かっている。


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10月17日(水)

母校である成安造形大学の学生さんたちが主催する美術部が僕の講演会を企画してくれた。
僕は学生時代、全然真面目な美大生ではなかったので、こうして自分の知らない世代の学生さんに自分の話をするのはとても不思議な感覚だった。

僕が大学に入学した頃、先輩たちの卒業制作展に美術関係者が来て気に入った作品があればスカウトしてその作品を世に出して行った。
やがてその学生たちの多くは小さな泡のように消えていった。そんな状況を遠くから見ていた18才の僕は「日本の美術の世界というのは、海外の流行の絵を写生するしか能のない若者たちと、絵の価値なんて何もわかっていない偉い大人たちが動かしているとても虚しい世界」だと感じていた。
そんな僕もいつの間にか美大を卒業して、京都には残らず、東京にも行かずドイツに行って、「3.11」をきっかけに日本が最もカオスな状態になったときにアートなんて言葉もない伊賀地方の村に帰って来たのだった。
今回京都の山奥で企画した「2つの森」もこれからは芸術家が自らの足で世界に踏み込まなくては何も生まれてこないという気持ちの表れだったと思う。状況は良くないけど、そこで諦めることなくこれからの美大生たちは僕たちが学生時代に思い描いていたアートワールドとはまた別の世界を自由に泳ぐ意志を持っていいはずだ。


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by yasutakeiwana | 2012-10-19 20:19 | 日記

10月4日

今日も展示作業。
南山城の方がトラックで作品を取りにアトリエへ。
地元に残っている同級生2人が展示の手伝いをしてくれた。
ドイツから届いた絵と僕の絵と村の風景が繋がりはじめて来た。
オープンは日曜日。明日はレネーが来日。

帰宅すると地元ケーブルテレビで一昨年火事で遭った神社の再建プロジェクトのドキュメンタリーがやっていて、よく見るとうちの祖父が代表だった。
人がどんどん出て行く日本の地方社会で、故郷を守りつづける人は素敵だ。
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by yasutakeiwana | 2012-10-04 22:14 | 日記

お盆

2年ぶりに迎える日本のお盆。
祖先の霊が夏に帰って来るというイメージができる日本人は素敵ですね。

そんなお盆に新しいアトリエの契約も無事完了。
契約の際に知ったのですが、あのアトリエを建てたおじさんが亡くなられたとき、ご家族の方が遺作を三重県美術展覧会に応募されて見事入選されたそうです。
何と、当時高校2年生だった僕もその展覧会に入賞させていただいていました。
僕は帰国するまでアトリエとおじさんのことは知らなかったのですが、ずっと昔に同じ会場で絵が展示されていたのです。不思議な縁ってやっぱりあります。

それから今年は恩師の元永定正先生の初盆でした。
伊賀上野のアトリエにお参りに行って、寺町のお寺に見送りに行ってからご家族の方と夕食。
ニューヨークのグッゲンハイム美術館とMOMAで開催される「具体」の展覧会のお話も聞かせていただきました。戦後直後の伊賀上野で郵便局員や土方仕事をしながら画家を目指して30才で神戸に行ったもーやん。
逆に24才でドイツから伊賀に帰って来た僕。
やることはたくさんあります。もっと本物作らないと。
たくさん元気をもらったお盆でした。
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by yasutakeiwana | 2012-08-19 14:43 | 日記